『命の尊さ』−この世界では、天災、テロや戦争、事故や病気などで日々多くの命が失われています。大切な人との死別は、とてもつらく悲しいものです。しかし、その悲しみは永遠のものではありません。今は亡き愛する人を思い、日々祈りを捧げ、今日1日生かされ支えられた命に感謝いたします。
1日の始まりとして生かされていることへ感謝し、朝業(朝のおつとめ)を行っております。
仁比山地蔵院は、豊かな自然の中に素朴な佇を見せる こころの寺。
開創1300余年の歴史を伝える日本最古の観音霊場九州西国観音霊場の第20番札所としても知られています。
毎月17日には観音様の縁日が開かれ、護摩修法、大般若祈祷、法話が行われ、近隣の人々の信仰を集めています。
★本尊十一面千手千眼観世音菩薩の特別御開帳のご案内★
地蔵院の歴史は古く、729年、諸国を行脚なさっていた行基菩薩が仁比山に三十六のお寺「仁比山(にひざん)護国寺(ごこくじ)」を造られました。
地蔵院は、仁比山護国寺の中心となっていた不動院の子院でした。
現在の九年庵のお庭に、かつての不動院と地蔵院があり、仁比山護国寺は、明治以前まで仁比山神社の神宮寺でありました。
明治維新後、神仏分離のために三十六のお寺が次々と閉鎖になる際、地蔵院だけが残り、実業家伊丹弥太郎氏の提案により、伊丹氏が所有していた三十六のお寺の1つ、吉祥院の跡地と地蔵院の土地を交換することになり、 地蔵院は、吉祥院跡地に移り、伊丹氏は、現在の九年庵の土地に九年の歳月をかけて別邸を築造されました。
護国寺三十六坊の御本尊であった「十一面千手観世音菩薩」は普段は本堂中央にあるお厨子の中に安置されています。
本来なら12年に一度、申の年だけの御開帳ですが、皆さまに仁比山護国寺の歴史と千手観音菩薩のお姿を知って頂きたいという願いで九年庵公開の時期に合わせて御開帳をいたしております。
11月15日〜11月24日まで。
高僧・行基作のこの御本尊は、金泥黒漆塗りで高さ175センチの等身大立像。
頭冠に十の化仏、中央に二手、左右各二十手の十一面四十二手で、一手から二十五の衆生を救うとされ、各手ごとに一眼を有しています。
特別に開かれたお厨子の扉の中から1300年の時を超え、私たちをやさしく見守り続けるお観音様のお姿をぜひご覧になり、皆さまが心穏やかになってくだされば幸いです。
ここに観音様とありがたい結縁が生まれます。
真言(しんごん):オン バサラ ダルマ キリ ソワカ
★観音様の縁日 護摩修法のご案内★
毎月17日は、観音さまの縁日です。
午後1時半より、当地蔵院本堂にて、護摩祈祷、大般若祈祷、法話が行われます。
護摩祈祷は、密教の秘法の中でも特にご利益の大きいといわれる修法です。
護摩壇(ごまだん)に火を点じ、火中に供物を投じ、添護摩木(添え木に名前や年齢、祈願したいことを書いて納めて頂いたもの)を投じて祈願します。
「護摩」というのは、サンスクリット語の「ホーマ」を音写したもので、「物を焼く」という意味です。
炉(ろ)は「観音様の口」を表し、その口から供物を食します。その口から燃え上がる炎は、両脇に鎮座されているお不動さまの智慧(ちえ)の象徴でもあります。
つまり納めた護摩木は、供物として五穀と一緒に焼かれるのです。
煙が天に届くことで、天は食を頂くことができ、代わりに人に福を与えるとされていて、 我々の内なる悩みや煩悩を焼き尽くし、あらゆる願い事を成就すると言われています。
どうぞ、ご近所お誘い合わせの上、ご参拝ください。(参加自由です)
★平成28年11月 恵比寿天建立★
平成28年11月に皆様のご健康と安全、商売繁盛を願い、恵比寿天を建立いたしました。
七福神中で唯一の日本の神様。
いざなみ、いざなぎの二神の第三子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れたのが、信仰のはじまりと伝えられています。左手に鯛をかかえ、右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚いです。
★平成28年申年本尊御開帳記念 天井画「花丸」★
平成28年申年本尊御開帳記念として、天井画「花丸」(54枚)を奉納させて頂きました。
四季折々の美しい花々のもとで、ご参拝頂ければ幸いです。
檀信徒の皆様、ご寄進下さり誠にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。